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日枝大神社 (ひえいだいじんじゃ)
 山王権現 (さんのうごんげん)
比叡宮 (ひえいのみや) 
所在地住所 〒210-0846
神奈川県川崎市川崎区小田2ー14ー7
電話番号 044-333-1046
FAX番号 044-333-5082
ホームページ http://www.hiedaijinja.or.jp
メールアドレス
[ 日枝大神社 ]
※ご注意:システムの構成上、地図のポイントと実際の神社の位置に多少の差異があります。

大山咋命   ( おおやまくいのみこと )
大山津見命   ( おおやまつみのみこと )
天照皇大神   ( あまてらすすめおおみかみ )
木花開耶姫命   ( このはなさくやひめのみこと )
大国主之命   ( おおくにぬしのみこと )
豊受姫命   ( とようけひめのみこと )

1月1日歳旦祭(さいたんさい)
2月3日節分祭(せつぶんさい)
2月28日祈年祭(きねんさい)
[春祭 (はるまつり)]
5月第三土曜日日枝大神社例大祭(ひえいだいじんじゃれいたいさい)
[前夜祭 (ぜんやさい)]
5月第三日曜日日枝大神社例大祭(ひえいだいじんじゃれいたいさい)
6月28日夏越祓(なつごしはらい)
7月第2土曜日雪洞祭(ぼんぼりまつり)
11月23日新嘗祭(にいなめまつり)
[秋祭 (あきまつり)]
12月28日大祓(おおはらい)
毎月1・15日1・15日月次祭(つきなみさい)

 日枝大神社は、人皇六十二代村上天皇の御世天暦二年三月中日、京都比叡山坂本山王権現 (日吉神社) の御分霊を勧請したもので、山王権現と号し、比叡宮と称しました。始めは村 (小田村) の西隅に社殿がありましたが、いつ頃からか村の中央、現今の所に遷座 (うつされ)されたといわれます。旧跡地には有名な銀杏の神木があって、大正の時代まで残っていたとのことですが、今はありません。
  旧幕 (江戸幕府) の頃御朱印地十石 (社寺に朱印状をもって下付した土地) があって、隣村下新田村 (現在浅田町) 管沢村 (現在鶴見区管沢町) 等の総鎮守 (氏神さま) でした。
  例大祭は四月中の申の日、神輿渡御の際は村内旧家十二人がいずれも馬に乗り、警固供奉 (警戒しお供する) して村内 (三ヶ村) を巡幸 (まわる) しました。その行列はすこぶる古風を極めたものといわれます。
  王政維新 (明治) までは真言宗円能院 (前の寺) が別当職 (お守りする) でした。明治六年十二月村社になり社号も日枝大神社と改められ、例大祭も五月十五日と定められました。
  明治四十二年三月十四日、無格社浅間神社、杉山神社、神明社、下新田稲荷社等を合祀しました。
  大正十年四月四日、神饌幣帛料供進 (国又市町村から産物を奉献) する神社に指定されました。
  昭和二十年四月十五日夜半、太平洋戦争の戦禍に罹り氏子 (村中) の九割と供に大空襲の下で一夜にして焼失してしまいました。
  昭和二十四年五月十四日、本殿を再建し、昭和二十五年五月には仮の拝殿と仮の社務所を建て、昭和二十七年五月十四日、神楽殿を再建いたしました。
  昭和三十一年四月十五日、現在の御社殿が完成されて、五月十八・十九日、奉祝祭を行ってお祝いいたしました。
  昭和三十七年四月十五日、社務所が完成されました。昭和四十五年二月七日 (初午の日)、夜半心ない者のいたずらから神楽殿を全焼いたしましたが、同年五月十五日に再建いたしました。
  昭和五十年より、神社整備の一環として授与所 (札所) 建立。次いで五十三年、御由緒掲載処を施置。五十四年には大燈籠一対を奉献することができました。
  昭和五十七年四月十五日、氏子中のご奉賛により、宮神輿並びに神輿庫を再建され翌五月大祭当日、宮神輿渡御全氏子地域を巡幸、四十年ぶりの祭事とあって氏子民の熱狂的歓迎を受け盛況裡に行われました。
  平成三年三月三十一日、現参集殿兼社務所を氏子中の御奉賛並びに神社拠出金により完成され、盛大に竣工式典が執り行われました。
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