[参拝の栞 ]
八幡宮由緒書
由緒沿革 創立年月日は不詳であるが、延文元年(一三五六)以前より村の鎮守として仏弥陀を安置す。
別当は仏像院磯幡山神宮寺と称した。開山は祐円(延文二年九月二十二日没)である。享保十八年(一七三三)七月十五日に別当・磯幡山神宮寺廿世仏像院快省法印がこれを再建し、毎年角力を興行していた。江戸初期の不動尊と、推定樹齢約五百年といわれる銀杏が現存する。当山は山伏の修験場であって、江戸時代には沢山の護摩が焚かれ、境内は非常に賑ったと伝えられる。当時は依知、山際等からも参拝があり、特に火渡りの護摩が有名であった。
明治二年神仏混淆の禁令により別当職が解かれ、爾来神官が奉職する事になる。八幡大神と称した明治六年二月、村社に列せられ、大正十二年三月に社殿を新改増築した。昭和十年九月二十七日、指定村社に列せられた。昭和二十八年七月、法律の施行により宗教法人となる。昭和五十七年十月、東京電力株式会社の高圧送電線神社用地の一部上空通過に伴いその補債料にて社殿、鳥居、石段、手水舎、神楽殿等改築又は新築し、昭和六十年四月、竣工、面目一新し現在に至る。
尚神社境外地には市立上磯部児童館・自治会館等もあり地域行事の中心になっている。
以上