神社情報
社伝によれば、新田義貞公、延元3年(1338)7月2日、越前国藤島に討死の際、その臣、亘新左衛門源早勝が、義貞公差添の名剣と七ツ入子の名鏡及び錦の陣羽織の3種の品をこの地に携え帰り、ひたすら冥福を祈って供養したという。然るに里人等公の徳を追慕し、その3種の形見を早勝に乞い、清浄の地を求めて孤松の下に埋納し、廟を営んで新田大明神と崇め、この地の鎮守とした。俚伝によれば毎年正月元旦と7月2日の暁には軍馬の嘶く音がすることあり。河北矢口村に鎮座する庶子新田義興公の神霊、父霊のもとに来たり給う故という。家康入府の後、武士名士の信仰厚く、多くの祭田が寄進されている。明治六年、村社に列格。後幣帛料供進神社に指定され、戦禍により建物ことごとく焼失したが、昭和31年、社務所、同38年、社殿、同43年、神楽殿の再建を完成した。
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