神社情報
川崎市川崎区
若宮八幡宮
わかみやはちまんぐう若宮神社
わかみやじんじゃ
御祭神 仁徳天皇(大鷦鷯尊オササギノミコト) 例祭日 8月の第2土曜日、日曜日 大師河原の鎮守様です。八幡塚六郷神社(御祭神・応神天皇 東京都大田区東六郷三の十の十八 源頼朝が鎌倉攻略の時この地に陣をはり、成功の御礼にこの地を鶴岡八幡宮の神社領として御分霊を祀ったのがこの神社です)の氏子(八幡氏子)が、大師開拓のおり移り住み、祀ったのが当神社であり、応神天皇の若宮が御祭神であるので若宮八幡宮と呼ばれてる。干拓事業の守護神(仁徳天皇は淀川の治水工事をして大阪平野を干拓したと伝えられる)として、また「高殿に登りて見れば 煙り立つ 民の竈は賑わいにけり」の歌の伝説から洪水に悩まされ貧しい生活に明け暮れた開拓民の「生活苦を救う神」として祀ったものといわれている。なお若宮との名から子供、若者の守護神でもある。境内社 一、金山神社[俗称かなまら様](本殿左の神社) 御祭神 金山比古、金山比売(カナヤマヒコ、カナヤマヒメ) 祭 かなまら祭 4月の第2日曜日、鞴祭神符授与祭 11月1日 鍛冶の守護神。川崎大師駅東踏切付近から大正時代に当神社境内に遷座したものである。イザナミの神が火の神カグズチをお産みになり、下半身に大火傷を負った時、この神が看病したとの伝説によりお産、下半身の病気の守護神と言われ、川崎の飯盛り女達からお金を造る神、性病除けの神として信仰されていた。今は子授け、夫婦円満、商売繁昌の神として全国から信仰を集めてる。また祭の神として鉄工関係の会社や金物店等の信仰も厚い。伊勢町の伊勢社、大師駅の前に祀られていた稲荷社が合祀してある。二、藤森稲荷神社(金山神社となり) 御祭神 宇賀之魂神(ウガノミタマノカミ) 例祭日 旧暦2月初午 明長寺付近に祀られていた稲荷神社で、境内に藤の大木が生えていたことから藤森稲荷と称する。絵馬などから表参道、川崎其の他かなり広範囲の人々から商売繁昌の神として信仰されていた模様である。三、大鷲神社(一番南側の神社) 御祭神 日本武尊(ヤマトタケルノミコト) 例祭日 11月酉の日 熊手市のたつ商売繁昌の神さま。死後白鳥になって飛び去ったという古事記の英雄「日本武尊」を祀った神社であるが、物を取り~鳥~鷲の語呂合わせから商売繁昌の神様になった。関東のオトリ様、関西でのエビス様が商売繁昌の2大祭で、それぞれ熊手市、福笹市がたつ。四、厳島神社俗称 海苔弁天」(参集殿二階) 御祭神 市杵嶋比売神(イツクシマヒメノカミ) 例祭日 旧暦正月11日 田町河岸(川崎市川崎区田町3の11の2)に祀られていた弁天様で、海苔師の守護神。川崎漁協が昭和61年4月14日、解散し、神社護持の後継者の途絶えるのを恐れた有志により、昭和61年4月6日、若宮八幡宮参集殿郷土資料室の中に遷座された。御神体は伝教大師の作と伝えられ、大黒天・多聞天を従えた三座形式の弁天様が波のレリ-フの上に座っており、十五童子(二体欠損)がその下で戯れ、さらに馬、俵を積んだ舟、千両箱を配してある。若宮郷土資料室、金山神社資料室 海苔の養殖器具、農機具、民具、地図、図書など大師の郷土史に関する資料が集めてある。また性信仰、性風俗資料として人形、絵馬、絵画、本、其の他を集めた金山神社資料室等が参集殿2階にある。石造物 一、丸橋の欄干 九品思想により苦界(九橋)を渡り極楽浄土(川崎大師平間寺)に至るという様を表現した橋で、天保4年から5年(1833から1834)に現旭町から平間寺鶴の池に至二か領用水に架けられた九ヶ所の橋のうち最後の橋の欄干。二、入間川五衛門の架けた石橋 三、池上家の手洗石 四、石橋「寛政7年(1795)6月世話人西」 五、力石(11個)
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