神社情報

1201017

川崎市幸区

天満天神社

てんまんてんじんしゃ
住所: 〒212-0053 川崎市 幸区 下平間51

御祭神 贈太政大臣正一位菅原道真公 例祭日 9月25日(現在は25日に近い土・日曜日) 社殿 権現造り銅板葺12坪 境内地 315坪 ご祭神の菅原道真公(845年~903)は、平安時代初期の学者・政治家で世に菅公、菅丞相ともいう。幼少より、歌や詩を作ることに秀で、11歳のとき、「月夜見梅花」の詩を作り父を始め周囲の人々を驚かせたほどであった。長じて朝廷に仕えてからも、学者・政治家として、すぐれた業績を残し、醍醐天皇の時ついに右大臣兼右近衛大将の地位まで上ったが、左大臣藤原時平等の讒言によって太宰権帥に左遷され、任地の太宰府において薨去された。のちに、その優秀な能力と功績により学問の神として祀られ、広く人々に知られ厚い信仰を集めている。当社の由来については、創立年代は不詳であるが、『新編武蔵風土記稿』に、「当社は村の北方にあり、前に鳥居が立ち、社前に拝殿あり、神体は木の坐像にて長さ1尺2寸余、社辺に松樹数株あり、小倉村無量院の別当なり」と記されている。また、下平間の旧家に伝わる古文書(弘化3年記)によると、「武州多摩郡谷保村天神社伝記に、延喜3年2月25日、父君菅原道真公筑紫にて薨去(59歳)なされたと聞き3男道武公悲嘆のあまり、父君の尊像を自ら模刻し孝道の誠を尽くされた。その後、道武公その尊像を供奉し、谷保村に来たり1社を草創しこれを安置した。こののち道武公当地縣主上平太貞盛の女を娶り1子を得、その子を菅原道英と号す。それより6世の孫津戸三郎為守、菅原道真公の尊像を供奉し、当地(下平間)に来住し1社を建立する。」と記されており当初は一氏族の、氏神としての性格が強かったようであるが、年月が経つにつれ、下平間の鎮守として祀られるようになり村民の信仰を集め現在に至っている。また、江戸時代の再建と思われる社殿は、第二次世界大戦の末期、昭和20年4月15日の川崎大空襲によりことごとく焼失し、かつての面影はない。しかし、昭和40年9月、氏子の寄進により、現在の社殿が再建された。東風ふかばにほひおこせよ梅の花 主なしとて春を忘るな 菅原道真

御祭神

菅原道真(すがわらみちざね)

祭礼

1月1日
歳旦祭(さいたんさい)
9月25日近い日曜日
例祭(れいさい)
【秋季例大祭(しゅうきれいたいさい)】
12月30日
大祓(おおはらい)

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