神社情報
由緒 天照大神を主神として祀る。往時は「伊勢宮」と称し、当社あるを以て境内一帯を「お伊勢の森」と呼ぶ。大正11年、高石地区内に分散鎮座せる熊野社、御嶽社、春日社、富士浅間社、八幡社などを合祀遷宮し、更に稲荷、第六天の2小祠を左右に相殿する。社殿は2間半に3間の宮作りの覆屋であったものを、大正11年、合祀遷宮に当り増改築し現在の拝殿、幣殿、神饌所、奥殿となり、それまで東向きであったものを南向きとする。その後本殿は昭和50年に改築。社務所は昭和55年、神楽殿を併設し改築す。社殿創建は承応3年甲午2月21日。加賀美金右ヱ門、とご神体の裏に記しあり、御光明天皇御在位、徳川幕府第4代将軍家綱時代にて今より凡そ326年前に当る。因に地頭金右ヱ門が父加賀美才兵ヱ正光は甲州武田の一族にして天正10年、勝頼天目山の戦いに敗れて滅亡の後、当地に来り字「本村」に居を構えしが、同16年、16才の時東照宮に召出され、同19年に至り高石地区内に107石8斗余りの高を知行すべき由ご朱印を賜わり、猶「本村」に居住せしが、子金右ヱ門正吉の時、江戸に宅地を賜わる。尚、当地にある高石山法雲寺は加賀美才兵ヱ正光の開基にて、萬松山潮音寺は加賀美金右ヱ門正吉の中興開基せるものなり。
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