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日本三體 永谷天満宮御由緒縁起(社頭・木板)
相模國鎌倉郡永谷郷の鎮守天満大自在天神は 人皇六十一代醍醐天皇延喜2年菅相亟左遷の石切筑紫太宰府に於て58歳の御時寳鏡に向ひ自ら御像三體を彫刻せられ一體は御末子菅秀才敦茂卿に賜ふ 即ち相模國永谷郷に安置し奉る御丈け1寸8分の御尊像之れなり一體は筑紫太宰府 1體は河内國土師村に安置し奉る尊像之れなり 菅秀才敦茂卿此の御尊像を奉體し関東に下向し永谷の郷に居城を構へ朝夕崇拝し給ふ 其後相尋で菅原文時藤原道長上杉金吾等に傳はり明應2年丑年2月相模國8ヶ國の領主上杉刑部大夫藤原乗國永谷に居城し霊夢を蒙り恭く宮社を造営し御神像を安置し奉る 其後天文12年宅間伊織介藤原綱頼宮社を修造し天正10年藤原規富新に宮社を造営し奉る故に本社は鎌倉八ヶ郷の総社にして関東天満宮に渡らせ給ふなり 然るに世の治亂に伴ひ時に宮社の盛衰ありと雖も約壱千年の星霜を経る今日猶依然として崇敬者増大す 曽ては往時鎌倉八ヶ郷内に在る80餘の末社の神官祭事を勤むる慣例なりき 徳川幕府學問を奨励し文筆の神関東の司當社天満宮を尊崇すること浅からず十代将軍家治の時天明元年より開帳毎に神輿江戸城に入り 将軍自ら恭しく奉拝す 誠に神徳洪大無邊也 日本三体永谷天満宮(手水舎傍) 相模国鎌倉郡永谷郷の鎮守天満大自在天神は神体の長さ1寸8分の木像で、延喜2年(902)菅原道真公筑紫太宰府(福岡県)にて鏡に向かい自ら自身像三体を彫刻され、一体を子息敦茂に与えられた。敦茂はこの尊像を奉体し関東に下向、永谷郷に居住した。その後尊像は菅原文時、藤原道長、上杉金吾等に伝え、明応2年(1493)鎌倉八ヶ郷の領主藤原乗国が夢のお告げにより、この地に宮社を建立し尊像を安置したという。このことは新編相模風土記にも記されている。江戸時代になり学問を奨励したので、文筆の神として天満宮への尊敬がまし、とくにこの神体が道真公自作の尊像であって、十代将軍家治の時、老中田沼意次の紹介により天明元年(1781)以来毎年神輿にて江戸城に入り将軍自ら拝観された。尊像三体のうち一体は筑紫太宰府、一体は河内国(大阪府)土師村に安置されている。横浜市港南区役所 横浜市観光協会 横浜市地域史跡 永谷天満宮境内 平成2年11月1日登録
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