神社情報
由緒 天喜五年、源頼義公とその子源義家公と共に勅を奉じて、奥州の安部貞任を討ち、宗任を下し、戦勝を記念して、山城国石清水八幡宮を勧請し、永く源氏の武運長久を祈願しようと、頼義公は鶴ヶ岡八幡宮を義家公は当社を勧請された。その時が康平六年八月である。建久三年、源頼朝公より当社に社領を授けられて、久良岐郡の総社と定められたものであるという。その後宝延二年には、時の領主間宮左衛門尉信広が社殿を再建し、久良岐郡十二箇村の総社と定められる。明治六年、村社に列せられる。
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