神社情報
創建 平安時代と伝えられている、祭神 天兒屋根命外十柱、境内社 豊守稲荷神社、例祭日 7月30日、神事 旧暦3月3日猿島への船渡り、神殿 春日造銅板葺30坪、境内坪数 850坪 由緒沿革 本社の鎮座地旧公郷は、藤原氏の荘園であった為、奈良の春日大社より分霊勧請したと伝えられる。古くは猿島に鎮座し、猿島他小島九ツを合せ十嶋故十嶋大明神とも称され、公郷一円の鎮守であった。猿島全島を境内とし、旧3月3日には藤原氏の奉幣使として、鎌倉の深沢村より梶原氏の一族である梅沢氏が参向し、田津の浜より艫の音勇ましく、関係者一同島に渡り神楽を奏し祭典を執行した。併し、朝夕参拝する氏子の為に古来より現在地に遥拝の為の社があった。向きは今とは全く反対で、拝殿より猿島に向って拝するという世に稀な社であった。拝殿の後には樹齢700年の大松があたかも門松の如く一対となっていたが、昭和26年、虫害の為切倒し、現在切株のみあり。社殿は弘化年間以後、数度再建造営の棟札あり。弘化4年、江戸防備の為、猿島に台場建設に当り、幕府及び川越藩それぞれ三再疋の献絹あり。明治5年10月、村社列格、社殿正面二間、奥行三間、境内地4630坪と届けられた。この神聖な神域猿島も、漸く時代の推移と共に軍用地となり、社殿移転の止むなきに至り、明治17年、現在地の社殿に遷座されたのである。明治42年、公郷一円鎮座の15社10柱を合祀し、指定村社となる。大正12年の大震災の為、社殿倒壊す。里人恐燿し再建を譲り、昭和11年7月、現在の社殿を造営遷座す。氏子総代石渡氏の子孫相継ぎ、尚昭和49年10月30日、神奈川県神社庁指定神社に昇格。現在に至る。宝物 鏡1面、銘藤原金良経6寸、重量80匁、年月日不詳。大神輿1基 俗称500貫、神輿として古来より伝えられる三浦100基の内、現在10数基の1基。氏子数 4600戸、崇敬者600人。
御祭神
祭礼
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