神社情報
平塚市
前鳥神社
さきとりじんじゃ前鳥さん
さきとりさん
御祭神 菟道稚郎子命(うぢのわきいらつこのみこと)・学徳の神様です。大山咋命(おおやまくいのみこと)・活動と福禄の神様です。日本武尊(やまとたけるのみこと)・安全守護の神様です。御由緒 この地は、相模川に沿った沖積地で、水田白田あいなかばする肥沃なところです。したがって、はるかな時代から、豊かな集落が発生していたらしく、石器・土器などの遺物がたくさん発見されています。四之宮の地名は、平安時代にはじまっていますが、それ以前は古くから「さきとり」といわれ、天平7年(735)の相模國封戸租交易帳に「大住郡埼取郷」の記載があります。「さきとり」の地名が、いつごろからはじまったかあきらかではありませんが、奈良時代より前からの地名であることはたしかです。この「さきとり」の地に住んでいた人たちが、最も清浄なところを選んで、おまつりしたのがこの「さきとり神社」で、氏神として奉祀したものと考えられます。氏神は氏の上を中心とした氏人の尊崇をうけたものであることは申すまでもありません。延喜年間(901~23)、『延喜式』が撰せられ、全國の著名神社が収録され、相模國の13座が神名帳に登載されました。当神社はそれに「前鳥神社」としるされています。このときから社号を「埼取」「前鳥」「前取」あるいは「左喜登利」などといろいろにもちいてきましたが、現在は延喜式神名帳にもとづいて「前鳥神社」と定めています。養老年間(717~24)に相模ノ國の國府祭がはじまったといわれ、その頃から四之宮の称を生じ、四之宮大明神ともいわれました。やがて前取郷が四之宮郷と通称されるようになったのも、これはあきらかに社号をもって地名としたものです。当神社が延喜式神名帳に載る古社であり、上代以降相模ノ國の國司の祈願神社でありました。さらに鎌倉時代には幕府の崇敬をうけ、建久3年(1192)8月、源頼朝公夫人政子の安産祈願にあたり、神馬奉献のあったことは、『吾妻鏡』の載せているところであります。のち関東八ヶ國の領主となった徳川家康公は天正19年(1591)11月、武運長久祈願のため朱印地拾石を寄進し、あわせて社地2100余坪を除地として加護を加えられました。創祀以来、当神社は神官がつかさどり、前取庄または四之宮庄として中世まで、四之宮、新土(平塚市)長沼(厚木市)など広く神領としていた時代がありました。近世初期からは、古義真言宗雪霜山鏡智院を別当とし祭事のすべてを管掌させてきましたが、明治維新の大改革にあたり、鏡智院家成海法印が復飾して名を神代式部とあらため、神仕の職について以来、その子孫がつづいて神職として現在に至っています。昭和四十三年九月、この年創祀1600年にあたり、元皇族賀陽恒憲氏をお迎えして、創祀千六百年式年大祭が盛大に斎行されました。御神徳 前鳥大神(菟道稚郎子命)は、第十五代應神天皇の皇太子で、幼い頃より聡明で天皇の寵愛をうけられました。当時朝廷に来ておらてました百済国の王子阿直岐から、帝王の道を学ばれ、ついで博士王仁を招かれ学問の道をひらかれたことは、歴史の伝えるところであり、論語・千字文などの漢籍が、はじめて我が國に渡来したのもこのときであります。よって昔より修学の神、学問の祖神として広く尊崇されるゆえんなのであります。またこの時代に、日本の農業、土木建築等が急速に発展したのも、学問のほかに産業技術導入をはかられたからにほかなりません。まことに國運興隆の基をきずかれたこと、菟道稚郎子命に負うこと最も大であると申せられます。菟道稚郎子命を祭神としてまつる神社は極めてまれで、全国では京都府宇治市にある宇治神社と前鳥神社の2社であります。したがって当神社は関東唯一の学問・文化の祖神をまつる古社であるといわれるものであります。現在では、この御祭神の御神徳を慕い、関東一円より広く信仰をあつめております。大山咋命は、山の神と称したてまつり、当神社においては、これを活動と福禄の神として祭祀しております。もとは村内日枝神社(旧称山王社)の御祭神でありましたが、明治年間、当神社に合祀されたものであります。年間祭典 月次祭 毎月1日・15日・28日 歳旦祭・元旦祈祷祭 1月1日 早朝元旦祭を斎行。続いて各種の新春祈祷が始められる。奨学神社祭・学業祭 1月15日 節分祭豆撒行事 2月節分の日 神事ののち、大勢の裃姿の年男により豆撒行事が行われる。崇敬会大祭 4月第3日曜日 1年に一度の崇敬会員の大祭ならびに大会 国府祭 5月5日 平安時代、相模ノ國の國府が餘綾ノ郡柳田(大磯町国府)の地に遷ると、国司が毎年端午に同所の神集山へ、一之宮寒川神社。二之宮川匂神社。三之宮比々多神社。四之宮前鳥神社及び五之宮として平塚八幡宮の五社の参集をもとめ、国家安泰、五穀豊穰の祈願を行ったのが始めとされている。昭和41年県無形民族資料指定夏越の大祓 6月30日 1月から6月まで半年間に受けた罪穢を祓い除き心身ともに清浄になって夏を無事過すことを祈る。氏子崇敬者は人形を納め大祓をうける。八坂神社例祭 7月14日 境内社八坂神社の祭。神輿渡御例大祭 9月28日 本社の1年に一度の大祭。広大なる御神徳を讃え、日頃の御神恩に感謝の誠をささげます。当日は奉納書展、献句、盆栽展、奉納演芸があり、終日参詣者で賑います。特に神輿の還御は古式による伝統行事として広く有名です。七五三詣 11月15日 感謝祭 11月23日 新穀を奉献、感謝の誠をささげる。師走の大祓 12月31日 一年間の罪穢を祓い清め、清々しい心で新年を迎える祭。氏子崇敬者はこぞって人形を納め大祓をうける。平塚市指定重要文化財 前鳥神社祭事 〇麦振舞神事 5月5日の国府祭、9月28日の御例祭の神輿渡御に際して行われる神事であり、神輿を担ぐ為の力づけの「力飯」を食するもので、神人共食の神事でもある。新編相模国風土記稿に「淘綾郡国府本郷村神揃山へ渡御アリ当社神輿供奉ノ者4月晦日米1升ヲ椀ニ盛リ芋ノ葉ノ汁ニテ干莱箙蕃椒ノアヘモノヲ饗ス。麦振舞ト称セリ。」とある。〇神輿宮入り神事 御例祭に当り社頭を発った神輿は氏子内を一巡した後、夕刻太鼓橋までさしかかると、楽の音の響く中、日本武尊を先頭とし、その年の新成人の警護のもとに渡御し鳥居手前にて待ちうけていた氏子総代が神輿に白絹の「奠の綱」と呼ばれる神を導く綱をつけ、社殿まで誘導、やがて還幸を迎える。〇日本武尊の舞 新編相模国風土記稿に記されている通り、当神社には社宝として「日本武尊の面」を所蔵しているが、それに伴い別当鏡智院に相伝せられたあった舞がこの舞である。日本武尊の草薙剣の古事と求福厄除が混然として入り交じっており単調な太鼓のリズムにより舞われる。現在は2月の節分祭と、4月の崇敬会大祭のみに公開される。○前鳥囃子 江戸時代前期より当地に伝わる囃子で、中期には江戸文化の影響をうけ里神楽の発祥をみ、今に伝承されている。笛を基調とした激しいリズムの中でおかめ、もどき、天狗、そして狐が舞い表す里神楽は大変ユ-モラスなものである。
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