神社情報
祭神は神皇産霊尊、天津彦穂邇々伎尊、配祀、神功皇后、應神天皇。磯長国造は成務天皇の朝意富鷲意弥命を以て国造と定め給へる事見ゆ。姓子録国造本記考等に意富鷲意弥命は天津日子根命の第15世の孫なる由記せり。当社初神の神は此の国造の祖先の系統に係れるは勿論殊に建国の大業を成し給える皇祖の神に坐しませるは則ち此国造等が創祀し奉れるならん。又後祀の二神は仲哀天皇の朝三韓御征討の際御船を幽護して彼地に渡せられ神威を現表して皇軍を冥助し給えしことあり斯くて韓地幸福の後安閑天皇の2年5月、東夷鎮撫の為祭祀し奉れる由、本社旧記、走湯山縁起、東雲草、鎌倉菅領記、関八洲古戦録、新編相模風土記等に見ゆ。高麗山の頂上には上宮として高来神社の奥宮があり春季例祭には正午里御輿は町内を巡幸し夕方五時頃より御霊を山御輿に移し奉り約3時で上宮に安置奉り祭事斎行。19日午後本社に着御。7月の夏季大祭は早朝本社祭典、直ちに12町内巡幸、照ヶ崎斎場にて恒例の神事神饌物は一般的神饌品目の外、南瓜、枝豆、鮑を供えられる。江戸時代徳川家より100石を受け、葵の紋を用いている。天正19年の古文書あり。天海大僧正直筆の十三條の書なり。明治27年3月1日、常宮昌子内親王殿下、周宮房子内親王殿下當社前に赤松一本づつ御手植在らせらる。明治30年3月15日、高麗神社を高来神社と社号復旧許可せらる。明治33年2月、常宮、周宮御参拝。明治34年9月28日、皇太子嘉仁親王殿下御成遊ばさる。明治40年4月30日、神饌幣帛を供進すべき神社と指定せらる。大正11年7月16日、東久邇宮允子内親王殿下幣帛料を御供進在らせらる。大正11年2月1日、梨本宮伊都子殿下御参拝在らせらる。大正12年3月21日、東久迩宮若宮殿下御参拝在らせらる。
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