神社情報
創立年代は不詳であるが、往時八幡宮と称え源頼朝の頃、延久年間に現位地鶴疇山(つるとしやま)に祭祀されていて、尾尻、大竹、砂口三村の鎮守であった。御神体は馬乗の像で本地三尊弥陀は鉄鏡に鋳出し、傍らに建保3年9月16日と日銘がある。鎌倉将軍の尊崇篤く、相模三鶴八幡の一つとされ政子安産の祈願所とされたと云う。観応3年、足利尊氏、庄内当郷より鶴岡八幡宮修理料寄進。文書に「寄進鶴岡八幡宮相模国南波多野庄内関所文事右為当宮修理料限永代寄進之状如件 観応3年9月9日 正二位源朝臣 華押」とある。天正19年11月、社領3石6斗の御朱印を賜う。東照宮当宮に参拝され神主屋鋪内で休息された。明治5年5月22日、議定書によれば大竹、尾尻両村総代、立合人今泉名主清水仙左衛、外名主2名、神主草山兵庫守貞胤等熟議の結果、大竹村全員離脱し、八幡神社は尾尻村の総鎮守となった。大竹村は新たに嶽神社の氏子として独立した。明治6年、八幡神社と改称し、村社に列せられた。
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