神社情報
祭神 応神天皇(誉田別命 ほんだわけのみこと)、仁徳天皇(応神天皇第二皇子 おおささぎのみこと)、神功皇后(仲哀天皇の后 おおたらしひめのみこと)のご神体三体を祠る。九州宇佐八幡神宮を総社とした、三神一体の八幡信仰に属する八幡神社の一社。合祀 猿田彦命(さるたひこのみこと) 三、由緒 当八幡神社の建立は定かではないが、鎌倉時代以前からその前身はあったのではないかと、和本、公文書などから推定される。「延喜式」(927年に編集作成された律令の施行細則)によれば、平安時代の官街道には駅制度が敷かれ、相模国の東海道(足柄道)には各郡毎に駅家・駅馬が設けられ六箇所の駅集落があった。この中の「小総駅(おぶさのうまや)」とは、「大和物語」では海辺に近い場所だったと、「新編相模風土記稿」では現在の親木橋付近だったと、また「皇国地誌」では小八幡の地ならんとあれど此村にその伝えなし。「和名抄」(倭名類聚抄)でいう駅家とは接村の酒匂村なるべしと…。何れにしてもその「小総駅」が地元だったとすれば、部落の鎮守様としてその頃(平安時代後期)、建立されたとする推定も可能ではないだろうか。「皇国地誌」(明治18年10月25日県令沖守固署名)によれば往古の当地は高田郷に属し、成田の荘なり。近在は丘陵が散在せしにより八重岡村(やえおかむら)と称せしが、後漸々開墾し田畑となせしより、小八幡村と改むるといえりこは鎮守八幡神社に拠れるならん。と また神社についてはこの社は式外村社で面積315坪、小八幡字東畑90番地に鎮座し、祭神は誉田別命を奉祀す。神体は木の立像なり。勧請歳月伝わらず。例祭は7月31日(旧6月晦日)神木は古松。囲り1丈6尺、他に老楠3株、3・4百年の物と見ゆ。と書かれている。(現在の例祭4月15日は農繁期の関係で変更された。) 往古の神社は部落(小八幡村)の中心地で、境内は地盤、地質良く楠木の森となり、江戸時代には伐採し商品として、船で送り出したともいわれている。小八幡八幡神社の神輿は古くから担がれ、足柄上郡中井町の五所宮八幡神社の記録によれば、毎年6月晦日の祭事には同社を宗社とする領内の小八幡、赤田、北村、堀の四箇所八幡と地元雑色村の子神社(五所八幡の元宮)など近郷の神輿が集り、農市がたつほどの賑やかさを見せ、慶長17年(1612)まで小八幡神輿が参加していたとの記録が残されている。四、例祭 毎年4月15日 五、氏子数 明治9年 96戸、明治18年 135戸(人口 男 380人・女 347人)、昭和7年 372戸、平成3年 1447戸。六、社殿等 本殿 間口3間、奥行き2間の八幡造り。幣殿 間口1間半、奥行き1間。鳥居 巾8尺、高さ12尺の八幡鳥居。七、境内 千1626坪。平成3年4月吉日 記
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